4月29日 --JeepがKansasで故障--


こんなことは書きたくなかったが、現実を見つめなければならないと思う。 この旅行を始める前、私はある程度のハプニングを予想していた。 そして、未知の障害を乗り越えるのもこの旅行の一つの目的であるとも 考えていた。しかし、これはひどすぎる。

今日、私は9:45にモーテルを出て、スーパーとオイル交換の店を探しながら 東に車を走らせた。食料を仕入れた後、私はオイルとオイルフィルター、 エアーフィルターを交換した。出発してから3000マイル以上も赤い砂の大地を 走ってきたので、当然必要だと思った。でも、もしかしたらこれが間違いだったの かもしれない。私はDenverを11:30に出てI-70号を東に走った。 風が強くてトレーラーを追い越すたびにJeepが横に揺れた。 1時間半程度走った後、私はちょっとしたアクセルの踏み込みでギアが3速に落ちるのに 気づいた。はじめは向かい風がきついからだと思っていたが、ちょっとすると 水温が上がり、オイル圧が下がっていくのに気づいた。私はエンジンを冷まそうと 速度を落としたが、水温を低く保つには50 miles/hourまで速度を落とさなくては いけなかった。私は止まろうと思い、ガソリンスタンドのある出口を探した。 Seibertのガソリンスタンドに着く直前に、エンジンから、からからという音が聞こえて きた。私はギアをニュートラルにして、Jeepをスタンドに滑り込ませた。 少し時間をおいてエンジンを止めた。オフィスでメカニックが居ないか尋ねたが、 このスタンドには居なかった。最も近い修理工場はここから10マイル離れたFlagler にあるとの事だった。私はオイルゲージをチェックして、オイルが全くないのに 気づいた。ありったけのオイルを買い、足してみたが、 からからという音は消えなかった。 実際、私は無知な上に気が動転していたので、5クオート(1.25ガロン)のタンクに 4ガロンものオイルを入れてしまっていた。 そして、このせいで、オイルがエアーフィルターに逆流して、白い煙を噴き始めた。 私はAAAをに電話してJeepを最も近い修理工場まで牽引してもらうよう頼んだ。 レッカーを待っている間に私はエンジンをチェックして、エンジン上部のキャップ のシール部分に蚊が付いているのを見つけた。おそらくオイル交換の店の工員が へまをこいだのだろう。もっともこれがエンジン故障の直接の原因であることを 証明するのはほとんど不可能だろうが。

私のJeepが!

待てども待てども来なかったが、ついにレッカー車が来て、Jeepは無事ガレージに 格納された。Mikeというおじさんはとても親切だった。土曜日だというのに私のJeep から大量のオイルを抜いて、エンジンの調子を見てくれた。 エンジンをかけ、からからという音を聞いた瞬間に彼はエンジンを止めるように 言った。私は悪い知らせを聞かなければならなかった。彼はエンジンが修理不可能 なくらいダメージを受けていると説明した。直すにはエンジンをオーバーホールするか、新しいエンジンを載せ替えるしかないと。そしてそれには最低10日は かかるとの事であった。そうだ、これは夢でなく現実なのだ。 私は冷静になろうと努力した。いくつかの選択肢が思い浮かんだ。満たすべき条件は New Yorkでブレイクを入れるためにNew Yorkから日本までの航空券を発券してため、 5月14日にNew Yorkに到達していなければならないということだけである。 選択肢の一つは、ここで修理が完了するまで待って、そのまままっすぐNew Yorkへ 行くというものだ。しかし、ここでどうやって10日間も時間つぶしができるのだろう。 Mikeはここで返却するという条件付きでレンタカーを貸そうかと言ってくれた。 これが次の選択肢だ。これを始め聞いた時は、ここで返却という条件が大変だと 思った。彼はまたDenverまでバスで戻ってそこでレンタカーを借りてはどうかと 提案してくれた。この場合、New Yorkで乗り捨る事ができる。これが最後の 選択肢だったが、これもブレイクの後にDenverまで飛んで来て、Flaglerまで 運転してこなければならない。そして、この場合再びFlaglerから再出発しなければ ならないのだ。これも非常に大変で、ここでレンタカーを借りるのと同じくらい 値が張るだろう。 結局、私はここでレンタカーを借り、ここから再開することに決めた。そうすれば、 私は東海岸から西に戻ってくる途中で、ここに立ち寄り、レンタカーを返して Jeepを引き取りさえすればいいのだ。これは名案だった。私は大量の荷物を新たな パートナーに積み込んだ。もちろんCherokeeをここに残していくのは心残りで あったが、他に道はなかった。次にここに帰ってくるときにはJeepの 修理が完了しているはずである。たぶん。

私は半日、いや一日の遅れをとってしまった。I-70号に戻ったのは18:30頃だった。 よほど、Flaglerか次の町で泊まろうかと思った。しかし、Kansasの州境を越えるのが この困難に打ち勝った証のように思えたので走り続けた。私は「ネバーギブアップ!、 ネバー!」と叫んだ。ついに私は州境を越え、そこから17マイル離れたGoodlandと いう町で止まった。運転中、この出来事が何を意味するのか考えていた。 一つ浮かんだのは、私は非常に親切な人々に会えたということである。 Mikeも奥さんのSallyもとっても親切で、いろいろと助けてくれて、私の下手な英語に つきあってくれた。私はこの経験は失った物に見合う価値があると信じている。 残念ながら、私はMiamiやNew YorkでJeepの写真を撮ることができない。 これが唯一の心残りである。

ついに


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